曼珠沙華(まんじゅしゃげ)寺(でら)

日本(にほん)昔話(むかしばなし)の旅(たび)91(千葉(ちば)県(けん)大多喜(おおたき)町(まち))

表紙

 

表紙

協力(きょうりょく):大多喜(おおたき)町立(ちょうりつ)大多喜(おおたき)図書館(としょかん)天賞(てんしょう)文庫(ぶんこ)

製作(せいさく):公益(こうえき)財団(ざいだん)法人(ほうじん)伊藤忠(いとうちゅう)記念(きねん)財団(ざいだん)

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表紙

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)寺(でら)

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大多喜(おおたき)町(まち)三条(さんじょう)に『浄宗寺(じょうそうじ)』という寺(てら)がある。 500年(ねん)ほど昔(むかし)、 戦国(せんごく)時代(じだい)に建(た)てられた寺(てら)である。

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秋(あき)の彼岸(ひがん)になると、 燃(も)えるような曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)が、 所狭(ところせま)しと咲(さ)く。 里(さと)の人(ひと)たちはこの浄宗寺(じょうそうじ)を『曼珠沙華(まんじゅしゃげ)寺(でら)』と呼(よ)んでいる。 なぜ、 『曼珠沙華(まんじゅしゃげ)寺(でら)』と呼(よ)ばれるようになったのか?

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こんな話(はなし)が伝(つた)えられている。

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むかしむかしのことだ。 浄宗寺(じょうそうじ)の住職(じゅうしょく)は花(はな)をこよなく愛(あい)していた。 寺(てら)の仏壇(ぶつだん)には季節(きせつ)の花(はな)が絶(た)えなかった。 里(さと)の人(ひと)たちは

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「ご住職(じゅうしょく)は、 ほんとうに花(はな)が好(す)きだこと」

「花(はな)のように、 心(こころ)の美(うつく)しいご住職(じゅうしょく)だ」

・・・と、うわさした。 時(とき)には花(はな)好(ず)きな住職(じゅうしょく)に

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「住職(じゅうしょく)さん、 山(やま)で採(と)ってきた花(はな)です。 お供(そな)えくだせえ」

「野良(のら)仕事(しごと)の帰(かえ)りにあんまり美(うつく)しいので一枝(ひとえだ)折(お)ってきました」

「・・・・・・」

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と、季節(きせつ)の花(はな)が届(とど)いた。

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花(はな)好(ず)きな住職(じゅうしょく)の影響(えいきょう)だろう、 境内(けいだい)のお墓(はか)にも花(はな)が絶(た)えなかった。 里(さと)の人(ひと)たちは

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「この墓(はか)は、じいちゃんの墓(はか)だ。 じいちゃんは、百合(ゆり)の花(はな)が好(す)きだったから、 百合(ゆり)の花(はな)をお供(そな)えしよう。 ぼたもちも好(す)きだったから、 ぼたもちもあげましょう」

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「・・・・・・」

亡(な)き人(ひと)の好物(こうぶつ)や季節(きせつ)の花(はな)がお墓(はか)に供(そな)えられていた。

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しかし、 境内(けいだい)の隅(すみ)に、 だれからも忘(わす)れられ、 苔(こけ)むした墓(はか)がひっそりと建(た)っていた。 墓(はか)といっても盛(も)り土(つち)された上(うえ)に丸(まる)い石(いし)が置(お)いてあるだけである。

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里人(さとびと)の言(いい)い伝(つた)えによると、 むかし旅(たび)の途中(とちゅう)、 ここ三条(さんじょう)の地(ち)で亡(な)くなった旅人(たびびと)の墓(はか)だという。 花(はな)も供(そな)えられず、 苔(こけ)むし傾(かたむ)いた墓石(はかいし)だ。

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・・・ある秋(あき)の夜(よる)。 三条(さんじょう)の山里(やまざと)は仲秋(ちゅうしゅう)の名月(めいげつ)に照(て)らされていた。

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刈(か)り入(い)れの終(お)わった田(た)んぼ、 大木(たいぼく)に囲(かこ)まれたかやぶき屋根(やね)の家々(いえいえ)、 月(つき)の光(ひかり)をあびながらキラキラ流(なが)れる川(かわ)。

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虫(むし)の鳴(な)き声(ごえ)と風(かぜ)にそよぐ葉音(はおと)だけが山里(やまざと)に聞(き)こえていた。 静(しず)かな静(しず)かな三条(さんじょう)の夜(よる)であった。

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住職(じゅうしょく)は

「今年(ことし)も秋(あき)がやってきたか。 月日(つきひ)のたつのは早(はや)いものだのう。 それにしても、 今夜(こんや)の月(つき)は一段(いちだん)と美(うつく)しい・・・」

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一人(ひとり)ごとを言(い)いながら、 境内(けいだい)に出(で)た。 花(はな)が供(そな)えられた墓(はか)の間(あいだ)を歩(ある)きながら歌(うた)を口(くち)ずさんだ。

「ながめても六十路(むそじ)の秋(あき)は過(す)ぎにけり・・・」

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住職(じゅうしょく)は首(くび)をかしげた。

「年(とし)かのう。 続(つづ)きを忘(わす)れてしまったか・・・」

とつぶやき、 月(つき)を見上(みあ)げた。

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その時(とき)、 境内(けいだい)の隅(すみ)ですすきの穂(ほ)がゆれたかと思(おも)うと

「・・・おもえば悲(かな)し 山(やま)の端(は)の月(つき)」

と、詩(し)の続(つづ)きを吟(ぎん)ずる者(もの)がいるではないか。

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住職(じゅうしょく)は

「ながめても六十路(むそじ)の秋(あき)は過(す)ぎにけり おもえば悲(かな)し山(やま)の端(は)の月(つき)」

と吟(ぎん)じた。

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「ありがとうございます。 ところであなた様(さま)はいったい、どなたですか」

たずねると

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「私(わたし)は、詩歌(しいか)を好(この)む江戸(えど)の商人(しょうにん)です。 江戸(えど)から大多喜(おおたき)の城下(じょうか)に行(い)く途中(とちゅう)、 病(やまい)にたおれ、 この地(ち)で命(いのち)をおとした者(もの)でございます」

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「それは、それは、 お気(き)の毒(どく)に・・・」

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「ところが、 この村(むら)の人(ひと)でしょうか。 私(わたし)の亡骸(なきがら)をこの寺(てら)まで運(はこ)んで、 葬(ほうむ)ってくださいました。

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今宵(こよい)、ご住職(じゅうしょく)が口(くち)ずさまれた歌(うた)を聞(き)き、 ついついなつかしくなり、 現世(げんせ)に姿(すがた)を現(あらわ)しました。 さぞ、 おどろかれたことでしょう」

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「・・・現世(げんせ)は今(いま)、 彼岸(ひがん)でしょうか。 彼岸(ひがん)花(ばな)はもう咲(さ)きましたか」

「彼岸(ひがん)花(ばな)?」

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「ええ、 彼岸(ひがん)花(ばな)です。 秋(あき)の彼岸(ひがん)になると真(ま)っ赤(か)に咲(さ)く、 あの曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)です」

「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ねえー。 このあたりには、 あまり見(み)かけませんな」

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「そうですか。 ・・・それにしてもご住職(じゅうしょく)、 このお寺(てら)は花(はな)がみごとですねえ。 私(わたし)は花(はな)で季節(きせつ)の移(うつ)り変(か)わりを感(かん)じております。 秋(あき)は菊(きく)もけっこうですが、 私(わたし)は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)が大好(だいす)きです。

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江戸(えど)の私(わたし)の家(いえ)のまわりには、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)がたくさん咲(さ)いていました。 それはそれは、 見事(みごと)なものでした」

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「そうですか。 なつかしいことでしょうね」

「あの世(よ)に行(い)っても、 ふるさとの秋(あき)の風情(ふぜい)を忘(わす)れることができません」

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「・・・・・・」

・・・住職(じゅうしょく)は霊(れい)と夜更(よふ)けまで詩歌(しいか)や四季(しき)の風情(ふぜい)を語(かた)りあった。 月(つき)が西(にし)にかたむく頃(ころ)

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「ご住職(じゅうしょく)、 おそくまで話(はな)し相手(あいて)になっていただき、 ありがとうございました。 久(ひさ)しぶりに学問(がくもん)や江戸(えど)の話(はなし)ができ、 うれしゅうございました。

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東(ひがし)の空(そら)がそろそろ明(あか)るくなってまいりましたので、 私(わたし)は消(き)えることとしましょう」

そう言(い)ったかと思(おも)うと、 旅人(たびびと)の姿(すがた)は消(き)えていた。

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住職(じゅうしょく)は詩歌(しいか)を口(くち)ずさむ風流(ふうりゅう)人(じん)と話(はなし)ができたことに心(こころ)満(み)たされた。 そうして、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)・・・とくりかえした。

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次(つぎ)の日(ひ)、 住職(じゅうしょく)は旅人(たびびと)が葬(ほうむ)られている、 かたむいた墓石(はかいし)を修復(しゅうふく)し、 花(はな)を供(そな)え、 お経(きょう)をあげた。

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そうして、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)を愛(あい)したという旅人(たびびと)の霊(れい)を慰(なぐさ)めようと、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)をさがし求(もと)め、 寺(てら)の境内(けいだい)に球根(きゅうこん)を植(う)えた。

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球根(きゅうこん)は年(とし)ごとにふえ、 秋(あき)になると墓(はか)のまわりは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)があざやかに咲(さ)いた。

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それから数(すう)年後(ねんご)、 住職(じゅうしょく)は病(やまい)がもとで亡(な)くなった。 すると、

「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の好(す)きだったご住職(じゅうしょく)の意志(いし)をつごう」

と、里(さと)の人(ひと)たちは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の球根(きゅうこん)を集(あつ)めた。

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また次(つぎ)の住職(じゅうしょく)も、 先(せん)だいの住職(じゅうしょく)の思(おも)いをついで、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)を大切(たいせつ)に育(そだ)てた。

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秋(あき)の彼岸(ひがん)になると、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)が咲(さ)いた。 真(ま)っ赤(か)に真(ま)っ赤(か)に咲(さ)いた。 境内(けいだい)も、 境内(けいだい)への道(みち)も、 土手(どて)も真(ま)っ赤(か)にそまった。 ことに夕日(ゆうひ)にそまった曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花(はな)は、 燃(も)えているかのようであった。

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そして、 だれ言(い)うともなく、 この浄宗寺(じょうそうじ)は『曼珠沙華(まんじゅしゃげ)寺(でら)』と呼(よ)ばれるようになった。

おしまい

製作データ

浄宋寺
浄宗寺

 

曼珠沙華寺

日本昔話の旅91(千葉県大多喜町)

 

原本:『曼珠沙華寺』 発行 大多喜町

文 :斉藤弥四郎

絵 :清水 三枝

音訳:小髙 陽子(読み聞かせボランティア読夢(ドリーム)の会)

録音会場提供:大多喜町立西小学校

 

協力:大多喜町立大多喜図書館天賞文庫

製作:令和6年12月 公益財団法人伊藤忠記念財団