化身(けしん)した観音(かんのん)さま

日本(にほん)昔話(むかしばなし)の旅(たび)82(長野県(ながのけん)小諸市(こもろし))

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協力(きょうりょく):市立(しりつ)小諸(こもろ)図書館(としょかん)

製作(せいさく):公益(こうえき)財団(ざいだん)法人(ほうじん)伊藤忠(いとうちゅう)記念(きねん)財団(ざいだん)

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化身(けしん)した観音(かんのん)さま

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むかし、 深沢(ふかさわ)の村(むら)はずれに、 木(き)こりの与助(よすけ)さんが住(す)んでいました。

今日(きょう)も、 与助(よすけ)さんは 朝(あさ)早(はや)くから山(やま)仕事(しごと)へ出(で)かける支度(したく)をしています。

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「おい、およね。 今日(きょう)は天気(てんき)もいいし、 仕事(しごと)もうんとできそうだ。 べんとうをまたたのむぞ。」

と、おかみさんに言(い)いました。

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「はいはい。 だいぶ暖(あたた)かくなりやしたで、 梅干(うめぼ)しをたーんと入(い)れておきやしょう。」

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おかみさんは、 慣(な)れた手(て)つきで、 ちょちょっと弁当(べんとう)を作(つく)り、 与助(よすけ)さんに渡(わた)しました。

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「そんじゃあ、行(い)ってくるから。」

与助(よすけ)さんは、 元気(げんき)よく山(やま)に出(で)かけていきました。

「ご苦労(くろう)でごわす。 気(き)をつけて おくんなんし。」

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おかみさんは、 与助(よすけ)さんを送(おく)り出(だ)すと、 神(かみ)だなに向(む)かって

「どうか、 無事(ぶじ)でけがのないようにおまもりください。」

と、手(て)をあわせました。

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山(やま)道(みち)になれている与助(よすけ)さんは、 さっささっさと、 調子(ちょうし)よく登(のぼ)っていきます。

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しょいこをしょって、 腰(こし)には道具(どうぐ)の入(はい)った袋(ふくろ)をくくりつけているのに、 身(み)ひとつで歩(ある)いているような速(はや)さです。

すぐに 与助(よすけ)さんは、 観音(かんのん)平(だいら)につきました。

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そこには、 村(むら)じゅうで大切(たいせつ)にお守(まも)りしている観音(かんのん)さまがまつってありました。

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しーんと静(しず)まりかえった林(はやし)の中(なか)は、 おごそかな空気(くうき)が流(なが)れて、 霊験(れいげん)あらたかな感(かん)じがします。

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与助(よすけ)さんは、 しょいこをおろすと、 いつものように観音(かんのん)さまに手(て)を合(あ)わせ、

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「南(な)無(む)阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)・・・・南(な)無(む)阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)・・・・。」

と、唱(とな)えました。

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それから与助(よすけ)さんは、 山(やま)のずっと奥(おく)深(ふか)くに入(はい)っていって、 いつもの仕事(しごと)場(ば)に着(つ)きました。

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与助(よすけ)さんは、 持(も)ってきたべんとうを木(き)の枝(えだ)にくくりつけると、 さっそく仕事(しごと)にとりかかりました

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カーン カーン カーン

と、木(き)の根(ね)元(もと)をおので切(き)る音(おと)が山(やま)にひびきます。

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しばらくして、

バリ バリ バリッ・・・・

と、木(き)の倒(たお)れる音(おと)が静(しず)かな山(やま)をゆるがします。

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そして、

ザー ザー ザーッ

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と、のこぎりをひく音(おと)があたりにこだまして、 仕事(しごと)はつぎからつぎへとすすんでいきます。

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「さあて、 ひと休(やす)みするか‥‥。」

与助(よすけ)さんは、 丸太(まるた)に腰(こし)をおろして、 ひたいの汗(あせ)をぬぐいました。

そして、空(そら)を見(み)上(あ)げて、

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「ああ、 どうりで腹(はら)がへるわけだ。 すっかりお天(てん)とう様(さま)が上(うえ)にいなさるわ。」

と、言(い)って持(も)ってきたべんとうを食(た)べ始(はじ)めました。

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ちょうどその時(とき)、 うしろのささやぶのほうで、 ガサガサと物音(ものおと)がして、 与助(よすけ)さんがひょいとふり向(む)くと、 かわいい小鹿(こじか)が顔(かお)を出(だ)していました。

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「おお、これはめずらしい。 なんてかわいいお客(きゃく)さんだ。 さあさあ、 こっちさこいや。」

与助(よすけ)さんは、 やさしく手(て)招(まね)きをしました。

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小鹿(こじか)は逃(に)げようともせず、 与助(よすけ)さんをじいっと見(み)つめています。

「ほら、 飯(めし)をやっから、 もうちょっとこっちさこい。」

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と、言(い)うとべんとうのご飯(はん)をふたに取(と)って、 小鹿(こじか)の方(ほう)へぐっとおしやりました。

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それから、 用心(ようじん)深(ぶか)そうな小鹿(こじか)と与助(よすけ)さんとのこんくらべがはじまりました。

「ふふっ・・・・おもしろいぞ。 まあ、 ゆっくり待(ま)とう。」

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与助(よすけ)さんが、 横(よこ)を向(む)いて小鹿(こじか)に関心(かんしん)のないふりをしていると、 小鹿(こじか)は安心(あんしん)したのか、 少(すこ)しずつ、 ゆっくりと近(ちか)づいてきました。

そして、 ふたにあったご飯(はん)を、 食(た)べ始(はじ)めたのです。

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それを見(み)ていた与助(よすけ)さんは、 小鹿(こじか)のあまりのかわいさにつかまえたくなりました。

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「それっと!!」

すばやく手(て)をのばしたのですが、 小鹿(こじか)の足(あし)はそれよりもすばやく うしろへとんで逃(に)げました。

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思(おも)わず、 与助(よすけ)さんの手(て)は、 なた(・・)をにぎっていました。

そして、 小鹿(こじか)めがけて投(な)げつけました。

一瞬(いっしゅん)のでき事(ごと)でした。

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「キャン キャン キャーン」

小鹿(こじか)は悲(かな)しいなき声(ごえ)をのこして、 森(もり)の中(なか)へ消(き)えていきました。

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「あっ、しまった。」

与助(よすけ)さんは、 小鹿(こじか)の声(こえ)でわれに返(かえ)り、 青(あお)ざめました。

「わ、わしは、 なんてことをしただ・・・。」

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もう いても立(た)ってもいられず 急(いそ)いで道具(どうぐ)をしまい帰(かえ)り始(はじ)めました。

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「ああ、 わるい事(こと)をしちまった。 あてるつもりなんかなかったに。 傷(きず)があさければよいが・・・・。」

歩(ある)く足元(あしもと)さえ ふらつくような気持(きも)ちで 観音(かんのん)平(だいら)につきました。

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「さあ、 今日(きょう)のふしまつをおわびして、 小鹿(こじか)の無事(ぶじ)をお頼(たの)みせねば・・・。」

と、せきたてられるように観音(かんのん)さまの前(まえ)に立(た)ちました。

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見(み)ると、 観音(かんのん)さまのひたいに ま新(あたら)しい傷(きず)のようなものがあります。

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「ああ、これは・・・・。 いったいどうなされた。 このひたいの傷(きず)は・・・・。」

与助(よすけ)さんの足(あし)は、 ぶるぶるがくがくと ふるえてきました。

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「もしや、もしや、 わしの投(な)げた なた(・・)の傷(きず)では・・・・。」

与助(よすけ)さんは痛々(いたいた)しい観音(かんのん)さまのひたいを、 なんどもなんどもなでながら、

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「申(もう)し訳(わけ)ねえ、申(もう)し訳(わけ)ねえ・・・。」

と、あやまり続(つづ)けているうちにやっと気持(きも)ちが落(お)ち着(つ)いてきました。

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「それにしても観音(かんのん)さまぁ。 どうしてまた小鹿(こじか)になんぞなられたか・・・・。」

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と、おたずねしますと、 心(こころ)なしか観音(かんのん)さまは、 ほほえんでおられるように見(み)えました。

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きっと観音(かんのん)さまも、 よいお天気(てんき)にさそわれ、 小鹿(こじか)の姿(すがた)になられて 与助(よすけ)さんの仕事(しごと)ぶりを 見(み)にこられたのでしょう。

そして、 うっかり近(ちか)づいてしまったのかもしれません。

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観音(かんのん)さまは、 与助(よすけ)さんがわざとなた(・・)をなげたのではないという事(こと)をわかって許(ゆる)しておられるようでした。

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「あさい傷(きず)でよかった。 ああ、ほっとした。」

与助(よすけ)さんは なんども手(て)を合(あ)わせました。

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それからというもの、 与助(よすけ)さんは なお一層(いっそう)信心(しんじん)深(ぶか)くまじめに仕事(しごと)にとりくみました。

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さて、 観音(かんのん)平(だいら)は、 長(なが)い年月(ねんげつ)のあいだに消(き)えてしまい、 今(いま)ではどこにどうあったのか知(し)ることはできません。

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しかし、 芝生田(しぼうだ)にある東漸寺(とうぜんじ)の観音(かんのん)堂(どう)には、 あの不思議(ふしぎ)な観音(かんのん)さまが、 今(いま)でもひたいに古(ふる)い傷(きず)あとをのこし、 大切(たいせつ)にまつられています。

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おしまい

製作データ

 

化身した観音さま

日本昔話の旅82(長野県小諸市)

 

再話:市立小諸図書館 竹内ゆかり

絵 :高藤瑞穂

音訳:市立小諸図書館 塩川かおり

 

協力:市立小諸図書館

製作:令和5年12月 公益財団法人伊藤忠記念財団